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アメリカ旅行の思い出(2014年9月2日〜11月28日)

明治の快男児

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「アメリカへの旅立ち」と聞いてすぐさま「秋山真之」を想起するのは、きっと日本で僕を含めて5人くらい(笑)

秋山真之とは、日露戦争で日本がロシアの艦隊を破る(野球でいうとコールド勝ちくらい)日本海海戦において活躍した海軍の軍人。そしてその彼を有名にしたのが、NHKでドラマにもなった司馬遼太郎著作の『坂の上の雲』。

あんまり褒められたものじゃないんだけど、僕は中学生の頃からこの作品をもうかれこれ5〜6回通読しています...(大学の先生から言わせれば、あんなものは「マンガと同じ」らしい。)

さすがにこれだけ読んでると、物語の場面はだいたい頭の中に入ってる。実はこの作品の一場面で(もちろん史実でも)、まだ日本がロシアと闘う前に、秋山真之はアメリカへ「戦略」と「戦術」を学びに行く。その場面が面白いのでちょっとここに引用します。

...実は出発に当たって、真之ら派遣の命令を受けた者五人が、築地の水交社にあつまって洋食を食った。その席上、真之は、
「ご一同はかの地で何をなさるかは知らないが、術技を習うだけではだめだと思います。術技は維新後、多くの人々が行って身につけて帰ってきた。海軍もはじめのころはそれが必要だったし、それで十分だったが、すでに日本海軍の草創期はすぎた。世界のどの海軍も経験しなかった近代海戦も経験した。あの海戦をふりかえって思うに軍艦運用など要するに術技の点ではなるほどみごとだった。各艦長以下、じつによくやられた。」
「..............」
みな、あきれた。真之はあの戦争に任官ほどもないわかさで従軍し、しかも主決戦場には出ていない。そのくせ、自分の先輩たちのやったことを、まるで提督でもあるかのように褒めているのである。
「しかし戦略、戦術がまずかった。じつにまずかった。どなたということではありません。日本海軍全体が、一騎武者としては優秀であっても、一軍を進退させる用兵法にいたってはきわめて劣ると思うのです。」
「それで貴官はどうする」と、ドイツへ行く林三子雄がきいた。
「戦略と戦術をやります」

まさに快男児。
僕の好きな旅立ちのシーン①でした。