玉を打って、四角形に走るスポーツ。
ボストンには、かの有名なハーバード大学がある。
僕と同じ学科の素晴らしき友人が、この9月からハーバード大学に通う東大生T君を紹介してくれた。一人旅をしていると、やっぱり人に会いたくなる。本当にありがたい。そしてこれまたありがたいことに、そのT君がボストン・レッドソックスの野球の試合のチケットをくれた。一緒に野球の試合を見に行こうと。なんでも渡米の際に研究室の先生がプレゼントしてくれたらしい。本当にありがたい。重なる幸運のおかげで、凡人の僕が無料でレッドソックスの試合を見ることができる。心のなかでそっと神様に感謝する。
さて、T君と僕のコンビ。大きな欠点が一つ。2人ともあまり野球に詳しくない。ボストン・レッドソックスというチーム名くらいは知っているが、しかしそこが知識の限界。このチームがどのくらいの実力で、どんなメンバーが所属しているのか、全く知らない。
「明日までに、予習してこよう。」
試合前日の夜に2人で約束する。
部屋に帰って呑気にネットでボストン・レッドソックスについて調べる。
なんと、このチームには2人も日本人選手がいた。
・背番号: 19、上原浩治
・背番号: 36、田澤純一
両名とも、投手である。
こんな僕でもさすがに上原選手くらいは知っている。(田澤選手も素晴らしい選手であることが後から調べて分かった。)上原選手には有名なエピソードがある。
それはプロ入り前の話。高校時代、ほとんど出番の無い無名選手であった上原は、体育教師になるために大学受験を決意した。しかし、その努力むなしく結果は不合格。この時のショックは相当なものだったが、それでもめげずに浪人して再受験することを心に決める。
浪人時代の1年間、予備校に通う傍ら深夜の道路工事をこなし、ピッチングの本を読みながら自分で投球のトレーニングをする。この無茶苦茶な努力には恐れいる......
翌年の受験では見事に合格、またそれにとどまらず投球の技術も驚くほど向上しており、大学では主力選手として活躍、その後プロの目にとまることになる。
「師なくしておのずからその道に達する」まさに現代版の宮本武蔵。
上原選手の感動的エピソードに心を震わせつつ、今度は明日向かう球場であり、ボストン・レッドソックスの本拠地でもある「フェン・ウェイ・パーク」について調べる。
この球場、なんと100年も前に建築されており、現在メジャーリーグで使用されている球場のなかでも最も古い球場だそうだ。そのせいか老朽化や観客席の狭さなど、いろいろと不便な点もあるようで、新球場建設の計画もあったそうだが、ファンの激しい反対によって頓挫した。
こんなところでメジャーリーグの観戦ができる幸せ。明日の試合観戦へのモチベーションが高まりつつも、溜まった疲れによってぐっすり快眠。
翌日。
試合はデイ・ゲーム。昼前に球場の駅でT君と落ち合う。試合開始の1時間前には、球場付近はレッドソックスのユニフォームを着たファンで溢れかえる。ダフ屋が声を枯らしてチケットを売る。2人で大きなホットドッグを頬張りつつ、試合開始を待つ。
プレイボール。
9月のボストンは寒い。そんな寒さを吹き飛ばすように、隣のおじさん達が半ズボンでヤジを飛ばす。
「馬鹿野郎!」
レッドソックスがめちゃくちゃおされてる。一点も返すことができない。ひたすら打たれまくる。会場からはため息が聞こえる。
ほぼ試合の決まったゲーム終盤に、日本人投手、田澤純一が登場。一回を無失点で抑えて降板。
夕方にT君は授業があり、試合もほぼ決まっていたため、8回あたりで帰ることに。試合内容は決して面白かったとは言えないが、アメリカで野球を観戦できた(しかも無料で!)ことは本当に幸せに思う。
僕はその足でボストン美術館へ。当日は入館料無料の日。ここでもまた、世界屈指の素晴らしい作品をじっくりと堪能する。
ポール・ゴーギャン「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」
夜遅く、帰宅。T君から連絡が来る。
「僕たちが帰った直後、レッドソックスがかなり巻き返したらしいよ笑」
試合は最後の1秒まであきらめてはいけない。勝負事の基本を思い知らされた1日。